
彼女とは、年に2〜3回ほど会っています。 ゆっくりご飯を食べたり、ゆっくりお茶を飲んだり。
そしてひたすら話すというのが定番。
出会った頃の私たちと言えば…。 お互いに「これがやりたい」という道に一歩踏み出したばかり。 それぞれ、道に迷ったり、道草したり、躓いたり、転んで泣いたりの日々で、 暗中模索の森の中で声を掛け合っていました。 でもその頃から、彼女は自分のお役目をはっきりと自覚していたのだと思います。 本人はどうだったのかな?わからないけれど、私はそう感じていました。
木々がそうであるように、根がしっかり張って、幹がまっすぐに立っていると、 どんなに強い風に枝や葉が揺らされても、折れたりはしないものです。
様々な出来事やひびの人間関係に、大きく揺さぶられても決して折れないし倒れない。
お役目を自覚している人というのは、そういう人。
自分と真摯に向き合い続けて、目をそらさなかった人。 動けない植物たちが、自分の置かれた環境に不平を言うわけでもなく順応していくように。
この人生で「やること」「あること」がわかっているって、健やかだなぁと思うのです。
それは食にも言えることで。 自分自身の身体と向き合ってきたかどうかで、食事は変わります。
何を食べたいのか。
そもそも本当に食べたいのかも、わからない人が多いように思います。 それは今の時代、ある意味仕方のないことです。 三食きちんと食べなさい。この食材がいいから食べなさい。 そんな情報や与えられた知識で、頭で食べることが癖になってしまっているから。
でもこれを食べたからこうなる、が誰にでも当てはまることはないし、
例え現時点で何かを食べて元気になったからといって、
それが1年後の身体にも同じように働くかどうかも絶対ではありません。 誰もがみんな違うから。私たちは日々変わっていくから。
だからこそ、生きることと向き合うように、食べることとも向き合っていきたい。 全ての生命は、より良くありたいとその一心で日々変化し続けているんです。 身体にとっても健康でいることが、何よりも大切なお役目なんです。
こんな風に思われたらどうしよう、失敗したらどうしよう。
でも〜、だって〜、誰かから言われたことや、知らない人の情報に振り回されて、 不安になって、自分自身のお役目を生きる喜びを見失いたくない。
これは身体にいいってテレビで言ってた、お腹空いてないけどお昼だから食べよう。 嫌いなものを無理やり食べたり、食べたいものを無理に我慢したり、 それが続いていくうちに、本当に食べたいものが分からなくなってしまうのは、嫌。
生を受けたからには、全うしたいと誰もが願うと思うのです。
自分自身のお役目を全うして、周りの人たちを幸せにしたいというのはみんなの願い。 そのためには自分自身が健康でいなくちゃ。
元気だから、気持ちに余裕が生まれて、前向きに考えることができて、
自分以外の誰かに持っているものを(ものも気持ちも)手渡すことができる。
お役目と向き合うことは、自分自身と向き合うこと、
それは気持ちだけではなく、身体とも向き合うこと。 逃げられないなぁと苦笑いだけれど、逃げたくないってそれ以上に思うのです。